私はスキーをしている関係上、最初にインソールを使用したのは1995年頃だったと記憶しています、当時はラングのスキーブーツを大手貿易商社がラングブーツを特約店制度で販売しており当時は値引きなど絶対しませんでした、それでショップにシダスのインソールを独壇場で販売をしましたが、今から考えるとオモチャみたいな方法で製作していました、今でも当時製作された製品は持っていますが本当にヒドイものでした、その後、他のスポーツメーカーが参入して来て、これは四角い板の上に乗り、したからつま楊枝のような物で押し上げて足型を取る方法でしたが、これも最悪でした、友人と初滑りに志賀高原に行ったのですが、あなたは本当に正指導員なのと聞かれました、板が曲がって行かないのです、これは、もう最悪でした、そしてインソールに興味を持ち、ある年に野沢で国際スキー技術選を見に行った際に自分でインソールを足のある部分にパットを貼ったのですが、一瞬で膝が痛くなってしまい、インソールは怖いものなんだという事を身をもって体験いたしました。
1998年に長野オリンピックが開催される事がきまり我々整復師は、トレーナーとしてオリンピック村でトレーナーとして参加する事が決まりました、その条件として1997年にオーストラリアのポダイアトリーのセミナーに参加する事が義務付けられ2日間で5万円という高額なセミナーに参加をいたしました。
最初に受講した時には外国には、こんな医学があるんだと思いました、2日間のセミナーが終了した時点で参加者全員に既製品のオルソティックが配布されました、私は受け取った時に感じたのは、こんな物かという位の実感しかありませんでした、それで私は今まで多くの外人をホームステイ(無料)をしていましたのでカナダから来ていたステファンという学生にカナダでオルソティックの工房を探してくれと依頼をしました、しばらくしてモントリオールとニューヨークで見つけたという連絡があり、すぐさま飛んでいきました。
そこから、私のインソールとオルソティックの長い道のりが始まりました、また、裏切りも多くありました、しかし、めげずに今も頑張っております、そして整骨院を開業している傍らで、患者さんがインソールを履いていると、すぐさま計測をしました、多くのオルソティックを検証しましたが今までで一人だけ合っている患者さんがおりましたがインソールとオルソティックを合わせて何百人の中でたった一人でした、ですので丸山茂樹プロが言っていましたがインソールなんてどこも一緒だよと、そうなってしまう訳です、ですので一般の方々も同じ考えだと思う訳です、運よくTop-Runを探した方は本当に運が良いのです。
ですから、私と巡り会ってオルソティックを製作する際に患者さんに話します、貴方は運のいい人ですねと、この製品はアメリカのバージニア州で製作されるアメリカでもトップクラスの製品ですとお話すると、決まって皆さんは何で日本で製作できないのですかと質問をします、それで私は説明しますが中国で日本車のように壊れなくて性能の良い自動車ができますか?と伝えると皆さんやっと理解してくれるのです、また私ほど物好きな人間はいないと思います、例えば、シダスやスーパーフィートを扱っている人は、その製品しか知らない訳です、それで良いと勘違いしているのです、市販品に限って言えば私は沢山の市販品も扱ってきましたが、よほどの事が無い限り、その人に合う事など皆無です、市販品でもカスタムパーツを使用して患者さんに合わせる事はできますが、これはポダイアトリストでないと出来ない事です。
私の息子はオーストラリアでポダイアトリスト(足医師)として病院に勤務していましたので息子から、いろいろと教えてもらってはいますが、本物の足医師ですので、私でもかないません、しかし外国の多くのラボは息子よりは知っています、直接現地に出向いた訳ですから、そんな訳で私はインソール(スポーツショップで販売されているもの)とオルソティックは別物と考えております。
上記の理由で私は日本で一番インソールとオルソティックを知っている訳です。